Celilo Falls

  

アメリカ北西部の先住民の話をするに当たって忘れてはいけない人物や場所などがあります。例えば1805-06年にアメリカ大陸横断をしたルイス&クラーク探検隊。ジェファソン大統領の指令の下、経済発展と国土拡大のために必要な大陸横断の安全な陸路の発見が目的でしたが、その旅路で出会った先住民やその他その時代知られていなかった動植物を詳細に書き記した日記は、今でも貴重な資料となっています。最初から脱線するいつものハマンダジャーナルですが、ここでは北西部アメリカ先住民の歴史と現在を語る上で重要な場所である、Celilo Fallsについて書きたいと思います。(Celiloの発音は、セライロ、正確には “sea-lie-low”に近い発音です。)

 

 

オレゴン州とワシントン州を隔てるように流れるコロンビア川。コロンビア川は昔、鮭の遡上数が世界一の川でした。現在私たちが見るコロンビア川は、ほんの50年前には全く違う姿をしていました。その理由は19世紀に入ってから必要以上に建設されたダムのためです。現在のコロンビア川は、水がゆったりと流れています。しかし以前は、流れも速く、川を遡上する鮭が見れるぐらい水質もよかったそうです。今でも付近に住む先住民の人々は、コロンビア川をN’chi’i-Wána (“the Big River’という意味)という以前からある名称で呼んでいます。

 オレゴン州から隣のアイダホ州へとつながる高速道路I−84をポートランドから3時間ほど東進したところにCelilo Villageという場所があります。大きなロングハウスが目印です。村には店が一つもありません。村に入ると、経済的/社会的に様々な問題を抱えているな、と体が感じてしまうような空気が漂っています。しかし、Celilo Villageは、北西部アメリカ先住民が最も多く集まる文化/経済/社会的一大拠点でした。その理由は、Celilo Falls−セライロの滝です。

 

  ( セライロ村にあるロングハウス。写真はハマンダが2年前に撮影したもので現在は改築されたロングハウスが建っているはずです)

  セライロの滝は地球上で最大の川漁場でした。ダムが建設される前のコロンビア川の鮭の遡上数は年間約1500-2000万匹とされています。巨大なセライロの滝に直面し、鮭の動きは鈍くなり、Dip-nets (虫取り網のような形をした北西先住民の伝統的漁業道具)で捕獲されました。捕獲された鮭はすぐに、暑く乾いた風に晒され乾燥し、出来上がった干鮭(Ch-lai)は近隣住民の中で通貨のような役割を果たす経済活動の主要生産物でした。セライロの滝の水量そして鮭の漁獲量についてはルイス&クラーク探検隊の日記にも記されています(クラークの18051022日付の日記)1824年に英国ハドソン ベイ カンパニー(Hudson Bay Company) バンクーバー砦 (Fort Vancouver)を建設するまで、セライロ村は北アメリカ北西部における地域経済活動、文化活動の中心でした。水没前に行われた考古学調査によると、セライロの滝付近には11,000年前から先住民族が住んでいたことが明らかとなっています。


  セライロの滝の写真はこちら。

 現在、いくつかの静止/動画以外にセライロの滝を見ることはできません。セライロの滝は、19573月に稼動開始したダラスダムのため水没してしまいました。ダム建設によって水没する前のセライロの滝は、今のコロンビア川を知る人には想像もできない規模のものでした。水量が最も多い時期にセライロの滝を流れる水量は、1分間に450,000,000ガロン(1ガロン=3.8g)。よくわからない数字なので比較としてあげるなら、現在のナイアガラの滝の水量で35,000,000ガロン/分。セライロの滝を流れていた1分間の水量は、現在のナイアガラの滝の約14倍という計算です。(ナイアガラの滝の先にもダムがあり、滝を流れる水量は実は半減されています。) そのスケールから、セライロの滝は水没する1927年までオレゴン一の観光名所でした。ちなみに現在オレゴン一の観光名所はグランドロンド保留区 (Grand Ronde)にあるスピリットマウンテン カジノ (Spirit Mountain Casino)です。

 現在コロンビア川を中心としてアメリカ北西部には、水力発電用の巨大ダム14と、他に250のダムが存在します。ダムによる川の水量制限・コントロールは生態系を大きく変えます。そしてその生態系、自然のシステムと密接な関係を保ちながら生活していた先住民の文化や生活も大きな影響を受けます。自らを“River People”川の民と呼んでいたWy’amワィアムを始めとする北西部アメリカの先住民族の文化と生活はダム建設によって決定的な打撃を受けました。日本でも、北海道の二風谷ダム建設によるアイヌ民族・アイヌ文化への損害の問題があります。

 1855年にアメリカ政府と締結した条約によって、オレゴンの先住民は住み続けた土地を失ったものの、セライロの滝を含む先祖が何千年と利用した漁場における漁業権は確保しました。しかし、ダム建設よる川魚の遡上量の激変、そして漁場に魚が到達する前に移民が缶詰産業のために大量捕獲したために、条約で保障された先住民族の伝統的漁場における漁業権は実質的に無効力となりました。

 

(セライロにある、条約で守られた先住民の漁場であることを示す看板)

 

ダラスダム建設にあたり、アメリカ政府は近隣先住民に金銭補償による立ち退きを勧めました。セライロ村に住んでいるワィアムの人々は、金銭を受け取らず立ち退きを拒否しその場所に住み続けている人々です。セライロの滝における鮭漁は、毎年サーモンチーフ(Salmon Chief)と呼ばれる指導者の合図と共に始まりました。セライロの滝 最後のサーモンチーフ、トミー・トンプソンは1875年にその職についてから85年間その役割を全うしました。セライロの滝が水没したときチーフ トンプソンは102歳。104歳で人生を終えるまで、チーフ トンプソンは政府からの補償金を受け取らず、サーモンチーフとして生き続けました。

 

(Salmon Ceremonyのための鮭を準備する女性たち)

 

セライロの滝は失われましたが、今でもセライロの村にはワィアムの人々が住んでいます。毎年4月には、鮭の帰り(遡上)を祝う儀式が行われます。川の民にとって、鮭は創造主からの贈り物であり、贈り物が届いたときに創造主に感謝し、みんなで贈り物を頂く儀式です。最初に捕られた鮭を全員一口ずつ食べ、創造主からの贈り物を全員で分け合い、感謝します。この儀式には、ワィアムだけでなく近隣に住む先住民、そして私達のような一般人も参加できます。彼らの世界観を理解し、一緒に鮭の帰りを祝う気持ちがあれば普通に受け入れてくれます。イベントは3日間続き、最後は大きなパウワウで幕を閉じます。

 

(コロンビア川周辺の先住民の伝統的な鮭の調理法)

 

来年でダラスダムは開業50周年、セライロの滝が水没して50年でもあります。

 

ポートランドでの留学生活を終える前にもう一度行こうと思います。

 

 

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あとがき。

ハマンダがアメリカ北西部の先住民の勉強をするにあたりいつもお世話になっている人に、キャロル クレイグさん(Carol Craig)という人がいます。この人はヤカマネーション(Yakama Nation) の人で、部族政府内の広報課みたいなところで働いている方です。先住民についての知識を広めるために、年中いろんなところに顔を出しながらネット上のみならず学術誌にも論文を寄稿している人です。

最近キャロルさんを含め、4人の知識人がセライロの滝についてのブログを立ち上げました。以前からセライロの人々に興味があったハマンダもこれを期にやっとこんな簡単なコラムを書き上げました。

キャロルさんらがセライロの滝について活発に情報を発信するのには理由があります。川の民にとってのセライロの滝の文化的・精神的重要性は言うまでもありません。もう一つ大きな理由は、セライロの滝とその水没という歴史的にも重要な出来事が最近忘れられてきているからです。人気を二分する百科事典であるコロンビア百科事典(オンライン版)とブリタニカ百科事典の最新版には、もはやセライロは載っていません。アメリカの一般人からセライロが忘れられるというのは、セライロにまつわる歴史、先住民族が忘れられるということです。

普通にGoogle”Celilo”と打ったほうが百科事典よりも資料が出てきます。前述したキャロルさんも寄稿するブログや、コロンビア川周辺に住む連邦承認先住民部族(Warm Springs, Yakama, Umatilla, Nez Perce) によって設立された漁業団体CRITFC (Columbia River Inter-Tribal Fishing Committee)のページ、そして人権団体、環境団体のサイトなどでセライロの滝はよく取りあげられています。コロンビア川、セライロ、川の民についての著書は多くあります。民族学的本なら、ワシントン大学のEugene HunnNch'I-Wana, "The Big River": Mid-Columbia Indians and Their Land”。ダム建設の不正義と先住民族の苦難については元AP記者でもあるRoberta UlrichEmpty Nets: Indians, Dams, and the Columbia River”などがお勧めです。セライロブログに文献資料のリストがありますので、そちらも参照してください。

そして以外や以外、グーグルで調べると、日本語で書かれたセライロの滝についてのページは(トラベルガイドにちらっと書かれている以外)ひとつも存在しません。私もキャロルからいろいろ資料をもらい、早く論文を書き上げようと思っている間に4年が経ちました。このコラムを読んで、少しでも多くの日本人がセライロについて知ってくれれば。日本人観光客の少しでも多くの人が、コロンビア川の壮大な景観を楽しみながらセライロや近隣先住民のことを考えてくれたら、と思いを込めてこのコラムを書きます。




  

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